出前アートギャラリーのすすめ(2008.5.13)

畑田美智子

作品を皆様に提供するアーティストは、通常、個展や展覧会などを開催して作品を公開するのが最善であると考えている。それは発表の場として万全なのだろうか。単に自分の作品を世に問うという意味からはそれだけで良いのかもしれないが、より多くの人達に見てもらう機会を提供するという意味からはどうなのだろう。それはやはり最善の方法とは云えないように思う。それを補い、通常の枠からはずれた人達のために、これからは何らかの方策を考えなければならないと思う。その社会的方策を考えてみた時、積極的にこちらから出かける展示会(出前アートギャラリー)をする必要があるのではないか。興味のない人はともかく、行きたくても身体的他いろいろな条件により、それが不可能な人たちのためにアーティストの方から出かけて行って作品を提供するということ、すなわち出前アートギャラリーを始めることにした。

毎日新聞の許可を得て掲載

 池田市老人ホームで開催したガラス作品の出前授業の模様を紹介する記事が2008年1月23日付けの毎日新聞夕刊の第1面にカラー写真入りで掲載された。記事を見たKBSラヂオ京都から「早川一光のばんざい人間のなるほどジャーナル」のゲストとして出演を依頼され、パーソナリティの早川氏の電話インタビューを受けることとなった。出前アートギャラリーについて当方の答えの要点は、@自分だけの楽しみではなく、他人をも楽しませる、Aきらめき、ときめき、ひらめきをモットーとする人生を送る、B身近な自然を愛でる心を持ち続けることであった。

 芸術家は、通常は、作品発表の場として個展・展覧会をするが、そのような会場に来ていただけない人達には、こちらから出かけて行って見てもらうというのが出前アートギャラリーである。早川氏は、「『見においで』ではなくて『持って行くから見てよ』という考え方・発想ですね。でも、ガラスは重いし、割れる危険もあるし、持って行くのが大変でしょう」と気遣って頂いたので、「リスクよりも、見て楽しんでいただく効果の方が大きく、嬉しいので、あえて実行した」とお応えした。

サンドブラストによる被せガラス作品の説明をしたところ、外国に住んだことがありますか?若しあるならば、その時の影響は?という問いが返って来た。筆者はアメリカ・マサチューセッツ州アマーストで家族とともに一年間生活したことがある。そのとき感じたことは、夏にガラス製のコップやお皿などの食器を多く使うというようなことは、日本もアメリカも変わりはないが、ガラス作品の鑑賞という点では、欧米の人達の方が親しみを感じ審美眼が優れているということであった。ガラス作品は光とは切り離しては考えられない。作品のイメージや奥深さは光源の種類によって大きく変わる。ガラスのシェードが持つランプのえもいわれぬ幻想的な効果は白熱灯でなければ出せないように思うし、庭からの自然光で見て初めて発見するガラス作品の魅力もある。

「創った作品を自分だけで楽しむのではなく、他人をも楽しませる」という点についての詳しい説明を求められたので次のようにお応えした。「作品を作るのにはいろいろ苦労はあるが、苦しみながら作っているわけではなく、楽しみながら作っている。出来上がったときには、作品に精神を吹き込んだように思えて、わくわくし、自分で眺めていて嬉しくなる。それを人に見てもらったときの皆さんの感激・感動が自分にも伝わってきて、二重に喜びを味わえるという至福を感じている」と。

老人ホームへの出前アートギャラリーでの皆さんの反応は様々である。ガラス作品の鑑賞は初めてという人が多い。はじめは、無言でじっと見つめておられる。ややあって「きれい」、「懐かしい」などと呟かれることが多い。「皆さん幸せそうな表情で、普段とは違って見えた」という施設長の言葉を紹介しておく。作品を見た人は心をときめかせ、喜びを感じる。それは作者が意図して与えたものともいえる。その意味で、この出前アートギャラリーはセラピーとしての効果があることになる。

創作には、子供心を何時までも持ち続けることが必要である。身近な自然、どんな小さなものにも感動し、何気ないものにも、心を躍らせる。自分の年をあまり意識せず、過去を振り返るよりは、これからの自分のあるべき姿をイメージする。いつも上を向いて歩く。さすれば、躓くかも知れないが、たとえ怪我をしても、これも人生と考えて不幸とはとらえないプラス思考を持つ。これが、創作意欲の根源、また若さを保つ秘訣なのかもしれない。


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