登録文化財に寄せる思い
(2006.2.1)

正会員 熊谷真弓子

この度、私の実家の北野家住宅が登録文化財に指定されたことは、私はもとより家族一同喜ばしく感じております。戦時中の空襲で大半の建物が焼失した中、我が家だけ奇跡的に残ったことを両親と共に涙したことや、不発ではありましたが焼夷弾に削り取られポッカリ穴の開いた押入れの壁を見て、幼いながらにも背筋がゾッとし、言いようのない恐怖感に襲われたことは、今でも私の脳裏に鮮明に焼きついております。また偶然にも、平成4年8月27日の朝日新聞朝刊の一面記事で我が家がポツンと残っている写真を見た時には、当時を思い出すと共に改めてこの家の強運を感じたものでした(下の写真で、正面の黒く迷彩を施した建物が大阪瓦斯ビルである。その左下に寄り添うように建つ小さな建物が、木造3階建ての北野家住宅)。とは言いましても、強運なこの建物も時代と共にいつかは朽ち果てていくものと常に不安が付きまとっていました。

本来、私は不動産関係の仕事に携わっていますが、登録文化財の制度については西沢先生とお会いするまで全く存じませんでした。中谷、志柿両先生にこの建物の件で相談した折、紹介していただいたのが京都大学講師で文化財修復学の西沢先生でした。(後になって気付いたのですが、偶然にもこの日は父の命日であり、また西沢先生も偶然、会議の関係で淀屋橋まで来られていました。)この家を詳細に御覧になった後、西沢先生から予想外のお言葉をいただきました。「築80年とは思えない程頑丈で、貴重な建築物である。1階は増築、改造されているのが残念だが2、3階は建築当時と全く変わってなく、一度、登録文化財に申請してみてはどうですか。」とのことでした。

 このことがご縁となり、「登録文化財所有者の会」にも参加させていただくこととなりました。そこで登録文化財に見識のある様々な方と出会い、お話しさせていただいているうちに我が家を今後も大切に守っていかねばという使命感を抱くようになりました。

 今後この建物をどう生かすか、またそれをどう保存していくかを後世に伝えていくことがこれからの私の務めと思っております。また、当会を通じて会員の皆様と共に、少しでも多くの古き良き時代の面影を広く社会に残していくよう努力するつもりです。


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