銀座創作展あれこれ(2006.6.13) 畑田美智子 2004年地元の池田にて個展を開催し大好評であったので喜んでいたとき「畑田さんやっぱり今度は東京へ出展しなければ」「是非東京でやってください。」「東京はなんといっても銀座ですね。」と話ははずみ、各方面の方々のご協力によりあれよあれよという間に実現することとなった。東京は私のテリトリーはあまりないしやはり目の肥えた方も多数おられ手厳しい意見もあるかもしれない。期待と不安を抱いてともかくチャレンジすることになる。 特に日本ルーマニア交流協会からさっそく協力を申し出られ、ルーマニア大使館と政府観光局に呼びかけ協力をお願いしましょうと提案していただいた。そこで私は上京、ルーマニア大使館を訪問した。大使は、はじめ事情をあまり理解出来ない様子であったが、私がルーマニアの工芸の町ブゾーを訪れ、いろいろなガラス工房を訪問、見学したと告げると大変興味を示され協力を快諾された。そのうえ、私の創作への思いを理解して、早々に推薦文を贈っていただいた。大変心強い味方が出来たことになる。 皆さんから「なぜルーマニアなの?」と聞かれるのだが、私の創作している被せガラスのサンドブラストは現在あまり作られていない。100年前フランスの有名な工芸家エミール・ガレにより多くの優れた作品が作られた。ガレの死後その工房が衰退した後もルーマニアではガレ風工芸品として作られているという現実があり、ルーマニアは被せガラスのルーツのようなところである。ガレ工房の職人たちの技術の多くはルーマニアの技術がベースになっているといわれている。 そのような由来のあるルーマニアと協力できるのはやはり被せガラスを用いた作品を創作しているものにとっては光栄なことだと思う。 5月15日(月)個展初日は香り高いカサブランカの見事な盛り花が届き雰囲気は上々、銀座のマロニエ通りの並木道にもピンクのかわいい花が今や盛りと咲き誇り、歓迎ムードを盛り上げてくれる。まず、筆者の母校大阪市立大学文学部の同窓会である有恒会東京支部の方々が多数応援に来て下さる。 夕方、ルーマニア大使アウレリアン ネァグ氏がお越しになり、熱心に見ていただいた。その後大使はじめ協力者共々ホテルでオープニングを祝い、成功を祈願して夕食会を催した。大使は大変気さくな方で、あまり知られていないルーマニアの話や文化談義などに和やかな時間が流れた。数日後にさっそく専門の文化広報担当の書記官アリン・イワノフ氏を派遣された。「ルーマニアの被せガラス作品とは全然違いますね。今度は是非ルーマニアで展覧会をしてください。畑田さんのオリジナルですからね。」と依頼された。実現するかどうかはこれからの課題である。 さすが東京首都圏、大使はじめ政治家、役人、小説家、芸術家、学者、会社社長など多種多様な方々が訪問激励して下さった。今後の参考になる意見も多くいただき、無理をしても東京に来た甲斐はあったと思う。 勿論、いろいろな参加者が居られた。たとえば、クリアガラスのサンドブラスト作品をギャラリー側の希望で少し販売していたので、それだけを目当てに来られた方も何人かいた。こちらはメインの被せガラスの作品を見てほしいと思っているのだが、ショッピング気分で入って来て、「これをどうしても欲しい。少し値段を安くしてくれないか。」となかなかその場を離れない。こちらも根負けして、とうとうその方の言い値でお渡しした。やれやれ、参った。東南アジア系の中年の女性だったが、大阪人の私もさすがに、この交渉には兜を脱いだ。日本人の交渉下手を肌で感じた次第である。「その代わり大切にして下さいね。」と念を押すと「ご縁があったのだから大事にします。」と嬉々としてお帰りになった。値段はディスカウントしてもらい、一番上出来の作品をゲットする。さすが目利きである。脱帽せざるを得ない。何はともあれ、こちらは買ってもらったのだから感謝せねばなるまい。 作品の絵葉書の収益はチャリティとして日本ル−マニア交流協会を通じルーマニアに寄贈する。物価は日本の10分の1ということであるので有効に使ってもらえることと思う。 このようにして一週間の銀座創作展はたそがれ時静かに幕を閉じたのである。お世話になった方々には感謝、感謝。 |