鷲田清一教授の「哲学はおもしろい?」を聞いて(2006.11.28)

八尾ニューモラル生涯学習クラブ 木村千代子

子供の頃から様々な事に疑問を持つ癖のあった私です。それは何故おこったのか、何故そう考えるのかを、質問したり、論じたりすることが、物事の本質を見極め、誤解を少なくし、物事により積極的に取り組むうえで必要不可欠と捉えてきました。今までに、何度も、「理屈屋だ」とか、「生意気だ」とか、「素直でない」といわれて、拒否とまではいかなくても、うるさがられるという経験を重ねてきました。しかし、鷲田先生の日常生活の中の問題をいろいろな面から皆で考え抜くのが哲学というお話を聞いて、この私の経験は少しも無駄ではなかったのだ、と改めて考えることが出来ました。何故なら、今盛んに話題になっている所謂「いじめの問題」にしろ、「国際関係」にしろ、また、「歴史認識」にしても、論じるための接点を見出す努力をすることなしに、意見のぶつけ合いを繰り返し、マスコミはそれらを面白おかしく垂れ流しているように感じるからです。鷲田教授の言われる「哲学的思考」をもっと身につければ、より良い接点を見出し、問題を建設的に解決する方向へと歩み寄れると思います。鷲田先生は、哲学には素人である参加者に対しても、相手の言わんとするところを良く理解しようとつとめられ、丁寧に対応してくださいました。その真摯な姿勢に先生のお人柄が感じられ、感銘を受けました。

鷲田先生、司会者の畑田当主のお二人とも、社会では名誉ある地位におられる方です。そのお二人に対して、遠慮せず、気軽に身近に接することの出来る雰囲気を畑田家の居間が醸し出していました。家に人格を見るのは久しぶりのことで、とても贅沢な気分になりました。畑田家でのフォーラムには、いつもゆったりした気分を感じます。最近、「心」とか「思い」を論じるときですら、時間にも、気持ちにもゆとりを持たず、常に何かにイライラしたままで議論をしていることが多いように思います。畑田家住宅でのフォーラムは、そのようなことに気づく大変良い機会でもあります。
 鷲田先生と畑田先生とのやり取りから、「一流とは何か」を学びとることも出来ました。「一流である」とは、自分の持っているものを惜しみなく他人の為に使えることだ、というのが当日の私の結論です。


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