「教育」と「人材育成」〜理数教育をめぐって〜(2007.3.1) 文部科学省科学技術・学術政策局基盤政策課 専門官 小谷利恵 現在、文部科学省では、初等中等教育段階から研究者育成まで、一貫した科学技術関係人材育成施策を推進している。特に、次代を担う人材を育成する観点から、理数教育の充実に取り組んでいる。 筆者は、文部科学省において、科学技術振興の立場から理数教育の充実のため日々業務を行っているものである。以下私見として、業務を通じて感じてきた事柄を交え、現在、文部科学省が進める理数教育政策・施策の状況を紹介したいと思う。 理数教育施策の企画立案及びその推進は、文部省と科学技術庁が統合し文部科学省となった成果が最も良く現れている分野の一つである。言い換えるならば、「教育」と「人材育成」とが、融合しつつ共にうまく進められている貴重な先鞭例といえる。 「教育」と「人材育成」とは、しばしば混同されて使われることも多い用語であるが、本来、その理念は異なるものであると考える。「教育」とは、教育基本法第一条に示されているとおり、「人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して」行われるものである。すなわち、どのような世情の中においても、良識と健康を兼ね備えた人物となることを目指して行われる営みであり、直接的に、特定分野の振興や経済活動への寄与といった事柄を目指して行われるものではない。 一方、「人材育成」とは、まさに、特定分野の振興や経済活動への寄与を期して行われるものである。具体的にはたとえば、情報通信技術の開発研究を行う研究者・技術者の育成、知的財産の管理・運用を行う専門家の育成などがこれにあたる。「人材育成」は、時代によって必要とされる人材が変化することに大きく影響を受けるものであり、恣意的な性格を有することが、「教育」とは大きく異なる。 しかしながら現実には、「人材育成」にあたる営みのうち、特に低年齢の段階を対象とするものに関しては、義務教育及び9割以上の生徒が進学する高等学校段階の学校教育に期待するところが多くなるため、必然的に「教育」と同一視さる。このため、しばしば、学校教育については、「人材育成」の色合いが濃い分野について知識を授け意識を喚起するよう期待され、これらを学校における教育活動として、限られた時間の中でいかに実現していくかについて苦慮することとなる。 いうまでもなく、学校教育は、教育基本法の趣旨に則り、学校教育法の下に行われるものである。したがって、第一義的には、良識と健康を兼ね備えた人物を育てることに力点を置き活動が行われるものであり、特定分野の振興や経済活動へ寄与することを目的に行われるものではない。しかしながら、実際には、学校教育は、「人材育成」という目的も内包し、良識と健康を兼ね備え、かつ、特定分野を志向し将来当該分野を担う人材を育成するという役割を果たしていくことを求められている。 理数教育は、まさに、この「教育」と「人材育成」の双方の目的を達成することを目指した学校教育の中にあるものである。特に、我が国は科学技術創造立国を標榜していることからも、諸外国と同様、学校教育で行われる理数教育には、単に国民としての良識を授けることだけでなく、将来経済社会を担う人材として必要な資質を育てることが期待されている。 現在、文部科学省が進める理数教育政策は、上記を背景とした上で、2つの柱の下に進めている。一つは、「理数好きな子どもの裾野の拡大」、もう一つは「理数に興味・関心の高い生徒・学生の個性・能力の伸長」である。 本稿では、特に前者について言及する。「理数好きな子どもの裾野の拡大」とは、特に年齢の低い小・中学校段階を中心に、知識の定着、基礎・基本の徹底と併せて、学んだ事柄と実際生活との結びつきを実感させ、習得した知識・技能を実際に活用していくことのできる能力を育てることを重視している。また、理数に関する興味・関心を高め、ひいては、理数分野に関する様々な職業へのあこがれやイメージを膨らませ、当該分野を志向するようになることを期待して、施策を実施している。 具体的には、たとえば、平成19年度から新たにに実施する「理科支援員等配置事業」がある。本事業は、小学校5、6年生の理科のうち観察・実験等の体験的な学習の時間を対象として、年間30回(週1回)程度、観察・実験等の補助や教材開発など教員の支援を行う理科支援員を配置するものである。 小学校の教員は、中学校や高等学校とは異なり、全教科担任制であるために、通常、理科の観察・実験を行う上で必要な教材開発や観察・実験の準備等の時間を十分に確保することが難しい状況にある。このことは、授業が座学中心となり、子どもたちが、体験的に学ぶことを通じて興味・関心を高めたり、学んだ事柄と実生活との結びつきを理解したりする機会を得にくくすることにつながる。このため、理科支援員等配置事業は、まずは、観察・実験等の体験的活動の時間をきちんと確保し、充実させることを目指している。また同時に、理科支援員が退職教員や退職研究者・技術者などである場合、教員がこれら理科支援員から新しい指導法のヒントを得たり、理科支援員と協力して工夫した授業計画の立案や教材開発を行ったりすることも可能となる。これらを通じ、教員自身の理科の指導力が向上し、授業がさらに充実したものとなることが期待される。さらに、理科支援員が理系の学生や、退職研究者・技術者である場合、また、年数回発展的な授業を教員と連携して行う研究者・技術者からなる特別講師の場合については、これら人材の姿や人生そのものが、子どもたちに将来の進路や職業へのイメージを具体的に持たせ、興味・関心を抱かせることとなる。加えて、副次的でありながら大きく期待される事柄として、理科支援員が教員を目指す学生である場合、理科支援員としての活動は、現場での貴重な実践機会となるため、教員養成としての意味合いを持つこととなる。このように、理科支援員等配置事業は、子どもたちと教員、または教員を目指す人や学校教育に貢献したいと希望する人々に好環境を提供し、近い将来、複数の効果が相乗的に発揮され、理科教育が充実し、子どもたちが我が国の科学技術を支える人材として育っていくことを期待して、新たに全国で取り組もうとしている。 この理科支援員等配置事業のように、「裾野の拡大」を目指す施策を講じる上で文部科学省が重視していること、それは、「面的」な施策とすることである。すなわち、特定の場所での実施やモデルケースを生むことではなく、できる限り全国で一斉に実施することを目指している。このことが、国全体で理数教育を充実・向上し、科学技術を先導する人材を生んでいく素地を厚くする上で、また、国民全体の科学技術への理解を促進する上で、不可欠であると考えている。 無論、小学校だけでも2万3千校ある学校の全てを対象とし、一斉に新しい事業を実施していくということは、緊縮財政の折にある我が国においては決してたやすいことではない。このため、理科支援員等配置事業も、3千校の規模で開始することとなる。 しかしながら、「教育」への投資、「人材育成」への投資は、実は、その効果が意外にも早くあらわれる、実に身近な将来への投資であり、是非とも、英断の上、大きく広く取り組むべきであるものと考える。たとえば、今、小学校5、6年生の子どもたちは、11歳、12歳の年齢にあるが、干支が一周りすれば社会に出、そして我々とともに働くようになる。事実、今、私とともに働く年下の同僚、そして上司は、私と一周り程度しか年齢が違わない。我々は、日々ともに顔をつき合わせ、意見を出し合い、議論し、新しいプロジェクトを生み、実施している。 「教育」や「人材育成」への投資は、次世代への投資などではない。日々ともに過ごす仲間への投資である。すぐに訪れるごく身近な未来を変える力を我々にもたらすものである。このことを、我が国は肝に据えて取り組むべきであると思う。「教育」、「人材育成」とは、我々とともに日本を創る仲間を育てる営みなのである。
(平成19年3月1日) |