リトアニアにおける文化の伝承と発信 (2007.07.19)

―過去を未来へと繋ぐ場所―ヴィタウタス・マグナス大学日本学センター

ヴィタウタス・マグナス大学(リトアニア・カウナス市)日本学センター・研究員
  高馬 京子

 私は、2005年12月からリトアニアの首都ヴィルニウスに住み始めた。ロータリー財団の奨学金を得て、記号学、言説分析を学ぶためにパリに3年間留学した後、様々な縁が重なったおかげでリトアニアのカウナスにあるヴィタウタス・マグナス(Vytautas Magnus)大学の日本学センターで研究員として勤務させて頂くことになったからである。

杉原千畝氏(1900 - 1986)
写真提供:大正出版渡辺勝正氏

 旧日本領事館跡地にある同研究センターに隣接して、杉原記念館がある(http://www.geocities.jp/lithuaniasugiharahouse)。これは、第二次世界大戦時、ナチスの迫害を逃れて米大陸に向かうため、日本通過ビザを望んだユダヤ人に、日本政府の指示に背いてビザを発給して多くの命を救ったことで知られる当時の領事代理の杉原千畝氏の偉業を伝承するための記念館である。

 大戦当時、ドイツとの同盟を結んでいた日本政府は、杉原氏のユダヤ人に対するビザ発給の許可を認めることはなかった。また、1939年にドイツとソ連はバルト三国併合の秘密協定を含む平和条約を結び、リトアニアにもソビエト兵が侵入していた。日本領事館には退去命令が出されていたが、その期日までの半月の間、杉原氏は本国の指示に背いて、領事館前に群れをなし救いを求めるユダヤ人たちに独断でおよそ3000通ものビザを発行したのである。これによって第三国に逃れることができたユダヤ人は6000人を超えたと伝えられている。

 リトアニアは1991年にソ連からの独立を果たし、同年にようやく日本との国交が結んだ。また、リトアニアに現在居住する日本人は大使館員も含めて約30人から40人とわずかであり、日本からは一見遠い国のようにも思われるが、実は、先に挙げたような杉原氏の救命活動が60年以上も前にリトアニアで為されており、首都ヴィルニウスには杉原氏の名をつけた通りもあり、日本との関係も深いものがある。

 本国の指示に背いて独断でビザを発行した杉原氏は「私を頼ってくる人々を無視するわけにはいかない。でなければ私は神に背く」と語ったという。この言葉は、人が判断し行動する時、たとえ権力や規則に背いても、人として倫理的に正しいことを見極め、実行する勇気をもつことの大切さを私たちに教えてくれている。受験の為の「正しい」答えの暗記学習によって、社会の「正しい」ルールに従う人材が産出されるいまの時代に、当時の杉原氏のように、その「正しい」ルールを疑って、本当に社会のために正しいことは何かを考え実行することは決して簡単なことではないだろう。しかし、戦時中という死と向かいあわせの時代だけではなく、この平和で豊かな現代においても、あるいはそのような時代だからこそ、人々が人としての正しい判断力とそれを実現する力をもつことが大切であり、そのような力を持つ人材を養成する教育が必要といえるのではなかろうか。

 杉原氏が救命活動を行なった領事館跡地にある日本学センターで、現在、日本語教育と日本研究が行われ、その成果が発信されている。ここで、リトアニアの学生たちは日本語や日本文化を学んでいる。これらの学生のなかには日本に留学するものも少なくない。また研究所員はリトアニアと日本の相互文化理解を促進するべく、様々な研究活動を行っている。メンバーは、研究所長であるアルヴィダス・アリシャウスカス氏(Arvydas Alisauskas)を筆頭に、Kristina Barancovaite Greta Grendaite-Volskiene、Ieva Kudrikaite、Vitalij Milkov及び筆者である。研究所長であるアリシャウスカス氏は、本センターの使命について以下のように述べている。

「我々の仕事は、世界レベルでの現代の科学的、文化的生活に関わることです。特に、人道主義と社会科学を結びつけることに重点をおいています。センターの主要目的は、 教育活動で、日本の文化、宗教、経済、文学、種々の社会問題について、学生に学ばせることです。この目的に関連した科目の授業や日本語学習を当大学の学生達に行うことを目指しているのです。また、研究者を招聘しての講演会、内外の他の研究センターと共同の、学生・若手研究者を含むシンポジウムやセミナーの開催、日本文化を一般に普及するための展示会、日本語コース、コンサート、イベントの運営・開催、パフォーマンスの上演や視聴覚機材設置による様々な組織の援助、図書館の設立と以上の活動を実現するための資金調達ならびに活動成果の社会への報告が我々の目指すところです」と。まさに杉原氏の人間愛の歴史が伝承されている場所であるこの研究センターは、現在、日本とリトアニアの交流と日本文化研究の拠点の一つとなっているのである。さらに、2007年10月には「ヨーロッパにおける日本のイメージ」というテーマで国際シンポジウムを、欧州7カ国8名の研究者を招聘し開催、その成果発表を出版する予定にしている。

 このように、歴史が伝承されている場所で文化は深められ、発信され続ける。文化の深化と発信は、伝承されるべき歴史を有する場所の大きな役割の一つであると思う。

2007年5月、日本の天皇、皇后両陛下がリトアニアを訪問され、リトアニアの人々と交流された。在リトアニア国日本大使館のお心遣いのおかげで、日本関係者のリトアニア人、リトアニア在住の日本人が、この地で両陛下にお目にかかることができた。先に書いたように、リトアニアには、通常40人近くしか日本人がおらず、日本に関するものに触れる機会が非常に少ない国である。しかし、両陛下ご訪問当日のヴィルニウスの中心街では、リトアニアと日本の国旗が至る所にはためき、リトアニアの新聞、ニュースも両陛下のご訪問を大きく好意的に取り上げており、日本からきてくださった両陛下への国を挙げての歓迎の心が強く伝わってきた。このような両陛下のリトアニアのご訪問が、リトアニアにおける日本への関心、また、日本とリトアニアの交流を大きく促進させることは間違いない。両陛下のリトアニアご訪問という大きな贈り物をここに住む我々が日本とリトアニアの相互理解、交流にどう活かしていくかが、これからの大きな課題である。

ヴィタウタス・マグナス大学日本学センター および
杉原記念館全景
杉原記念館内 旧日本領事館杉原氏執務室


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