(30)哲学は面白い、哲学を楽しもう (2007.12.28)
 大阪大学総長  鷲田清一

哲学が取り扱うのは決して特殊な問題ではありません。誰もが例外なしに経験し、関心を持たずにはおられない問題です。哲学が浮世離れした特殊な問題であるかのように受け取られる理由の一つは、哲学っぽい、一見難しい術語が使われるからであります。でも、哲学は言葉が難しいから難解なのではなく、日常多義的に使っている言葉を改めて一義的に定義し直し、誰もが納得できる結論を導き出そうとするその過程が余りに緻密なので、馴れない者には難しく感じられるだけです。今の日本には、市民の誰もが哲学的な思考の作法に馴染んでいる社会の形成が強く求められています。そのような社会が本当に成熟した社会といえます。
 本稿は、2006年11月19日、大阪府羽曳野市郡戸の登録有形文化財畑田家で開催された哲学フォーラムでの鷲田清一先生の講演と講演後の質問・討論の内容を、分かり易くまとめたものです。ゆっくりと、楽しみつつ、繰り返しお読み下さい。日頃の暮らしの中で哲学的思考がいかに役立つかをお分かりいただけると思います。ここをクリックし、PDFファイルを開いてお読み下さい。

はじめに
哲学は学問の女王――難しい哲学と身近な哲学
臨床哲学事始
臨床哲学の実践
分かるとは――同じということ、違うということ
哲学の言葉は難しすぎる?
ヨーロッパの哲学
哲学カフェと私
日本の哲学の専門用語はなぜ難しくなったのか
ヨーロッパの哲学も本当は難しい
市民の哲学勉強はなぜ必要か
成熟社会と哲学
私とは何か
教養を高めること、成熟すること
質問と討論

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