総合的な学習を考える
兵庫県立淡路高等学校教諭 渋谷亘
大阪大学名誉教授 畑田耕一
総合的な学習の時間は、問題の発見とその解決を通して子供たちに学ぶことの楽しさ・喜びを実感させ、学ぶ意欲を持たせて真の学力の向上をはかろうとして始められた。この総合的な学習の時間が、「総合的な学習に通常の授業の時間をとられて学力が落ちた」、「ゆとり=学校が休み」というような世間の反応に押されて見直されようとしている。教育の成果は国家の形となって現れ、国家の状態は教育方針を決める最大の要因となる。国家と教育は車の両輪のようなものである。それだけに、このような教育制度の根幹にかかわる見直しは、十分検討したうえで行われなければならない。
文部科学省が行った「義務教育に関する意識調査」の結果(1)を見ると、総合的な学習の時間に対して、保護者はおおむね賛成しているものの、中学校教員をはじめとして現場で実際に運用する側に反対または廃止を望む者がかなり多いことがわかった。
この文部科学省の調査(1)で総合的な学習の時間の好き嫌いを児童生徒に問うたところ、小学生の60%、中学生の46%が好きであると答えている。中学になると総合的な学習を好きと答える生徒の割合が大きく減っているようにも見えるが、ここで忘れてはならないのは、中学では国語などの他の教科でも同じような傾向が現れることである。総合的な学習を好きと答える生徒の割合は、全教科のちょうど真ん中あたりにある。「総合的な学習好き」の割合の学年進行に伴う変化の傾向は、音楽、図工、国語とほぼ同じである。児童・生徒は、総合的な学習の時間を特別なものではなく、教科のひとつとしてとらえているのかもしれない。大事な点は、中学生が総合的な学習だけを特に好きでない科目、意味の無い科目と捉えていると考えるのは間違いであるということである。
たとえ、生徒にとって、総合的な学習の時間は単なる教科のひとつに過ぎないとしても、今回の調査1)は重要な示唆を我々に与えている。それは、総合的な学習の時間を通して「国語や算数・数学などの教科で勉強したことが、自分にとって大切であることが分かった」と答える生徒が、小学生80.5%、中学生55.7%にのぼっていることである。小学生の八割以上がこう答えたことは、教科横断的に取り組む総合的な学習の時間がその機能を果たしているということを示している。生徒のこのような手ごたえを感じている小学校では、教員の過半数(56.6%)が総合的な学習の時間を肯定的に評価している。ところが、中学校では教員の57.2%が総合的な学習の時間をなくした方がよいと答えており、小学校と中学校での教員の意識の違いが浮き彫りになっている。これは、生徒の反応の違いだけではなく、一人の教員がほぼ全教科を受け持つ小学校と、教科担任制の中学校との教育システムの違いにも起因すると考えられる。
教員一人でほぼ全教科を受け持つ小学校では、総合的な学習の時間で学ぼうとしていることを国語や算数などの教科教育にいかしやすい。時間割やカリキュラムの自由度も高く、そのときの学習環境や児童の学習状況に応じて時間割や教科内容を弾力的に運用できる。総合的な学習と通常の教科の学習とをお互いにいかしあうことで、児童は学ぶことの意義を自発的に見出していく。小学校教諭の70.3%が、総合的な学習が始まってから、生徒が自分で調べたり考えたりして、自分で積極的に学習する意欲や表現する力を身につけてきたと感じており、また、児童の80.5%が、国語等の教科を学ぶことの重要性を感じ、62.9%がもっと勉強する必要があると感じているという事実が、総合的な学習と通常の教科の融合による学習効果の向上の効果を証明している。
小学校では従来から、学校の全教員が共通の研究テーマを持ち、互いに研究を重ねたり、成果発表をしたりしてきた。たとえば、兵庫県内の多くの小学校では、校内研究の機会を多く持ち、ほぼ全ての教員が最低年一回以上研究授業を行っている。つまり、教員の数だけ研究授業が行われていることになる。授業についての研究が活発に行われているので、市販の教材や授業案などについての書籍も充実している。一方教科担任制の中学校では、教員は自分の専門以外の教科を教えることに対して不慣れであり、戸惑いや負担を感じやすい。その結果、教員が総合的な学習を面白いとは感じられず、それが生徒にも伝播してしまう可能性を否定できない。中学校での授業研究は、通常教科単位で行われるために、校内研究会や公開授業を行っても、その教科の職員だけが参加し、小学校のように、その学校の全教員がかかわるということはほとんどない。このような小学校と中学校での教育の土壌の違いを考えると、中学校の総合的な学習の時間は専科の教諭をおくべきではなかろうか。教科担任制の中学校では、週に一クラスあたり三時間程度もある総合的な学習の時間は、専門の教員が、他教科教員とのカリキュラムについての綿密な計画を立てたうえで行う方が教育効果の上がることは間違いない。
総合的な学習の時間は、漢字の練習や計算練習などと違って、その教育を充実させたからといって、すぐに結果が出るというものではない。教育における新しい試みには、長い時間をかけてその効果を判断しなければならないものがある(2)ということを、教員も一般市民も、十分わきまえたうえで学力論争をする必要があろう。
今、世間で議論されている日本の児童・生徒の学力についての国際的な調査の結果(3)は、子供の生活習慣によるところが大きい。今の中学生は46.6%が12時以降まで起きているのに、家庭学習はほとんどしない。家庭学習を全くしない生徒(42.5%)を含めて中学生の80.1%が家庭で学校の授業の予習・復習を一時間以下しかしない。一方、テレビやビデオ・DVDの平均視聴時間が2時間を越える中学生は69.0%という状況である(1)。ゲームで遊ぶ時間の調査結果はないが、テレビ視聴時間と同程度と推測される。このような生活状況では、反復学習の必要な学力をつけることは難しいのではなかろうか。兵庫県内の公立小・中学生の23%が「死んだ人は生き返る」または「たぶん生き返る」と考えていることが、兵庫県の教員や専門家の調査でわかっている(4)。子供たちの中で、今いのちについての最も基本的な考え方までもが壊れつつある。この異常な事態を解決するためにも、生徒がそれまでに学んだ知識と原体験を基にして自発的に考える力を養う総合的な学習の時間の充実と推進を急がなければならない。
総合的な学習には通常の授業による知識の習熟が必須である。総合的な学習を通して考える習慣を身につけた生徒は知らず知らずの間に通常の教科の授業での習熟度を上げていく。先にも述べた総合的な学習と教科教育との融合は、これからの教育の推進に大きく貢献するものと考えられる。現場の教師はこのことをよく理解して生徒の教育に当たってほしいと思う。せっかく始まった総合的な学習である、もっと建設的に物事を考えようではないか(2)。
*本文中のグラフは、すべて参考文献(1)から引用したものである。
参考文献
(1)URL:http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/17/06/05061901/gimukyouiku.htm(中央教育審議会で行われている義務教育改革に係る審議の検討資料とするため、全国の小・中学生、保護者、小・中学校教員、小・中学校評議員、都道府県及び市区町村の教育長と首長を対象に行われた質問紙調査の結果)
(2)URL:http://www.sun-inet.or.jp/~jtrc2660/SEISYO05.htm(国際ロータリー第2660地区・豊中ロータリークラブ開催のフォーラム「これからの日本の教育」(2005.2.26 於 ホテルアイボリー)での議論の内容を纏めたもの)
(3)http://www.pisa.oecd.org/dataoecd/43/9/33690591.pdf(OECDの国際調査の結果)