「今、戦中・戦後のことを思う−2」を読んで(2010年5月27日公開)

       国際ロータリー2660地区ガバナー事務所職員   大西麻容

私の両親はいわゆるベビーブームの生まれで、「戦争を知らない子供」です。その子供である私は「戦争を知らない子供の子供」ということになります。平和な世界に生まれてきた私にとっての「戦争」…それは映画の中、アニメの中、本の中、教科書の中でしか知らない架空の世界です。ただ、幼い頃、今は亡き祖母に聞かせてもらった神戸大空襲の時の話は生々しくて、その記憶は話してくれた祖母の表情や声と一体となって、恐ろしい記憶として私の中に残っています。

おそらく、私たちは戦争を実際に体験した人々の話を聞くことができる最後の世代でしょう。これからは本当に平和な時代の子供たち、戦争の傷を知らない子供たちがどんどん増えていきます。そんな世の中だからこそ、間違った戦争の情報が伝わらないよう、戦争の話は絶やすことなく伝えていかなくてはならないものだと思います。しかし戦争の話は、話す側も聞く側も決して楽しくはない題材です。

そんな「つらい、苦しい、悲しい」物語がつきまとう中、この畑田先生の「戦中・戦後のことを思う」というお話は、大人も子供も笑えるエピソードが沢山詰まっていて、戦時中のまた違った一面を教えてくれます。貧しいながらも生きるための逼迫感とそのユーモアのあるエピソードに、涙の出そうないたいけさ、そして逞しさを感じました。

中でもおならで飛行機を飛ばすための実験の話の可笑しさには声を出して笑ってしまいました。また、おならの実験をした兵隊さんたちの一生懸命さと仲間の兵隊に対する優しさに、胸を打たれました。ぜひ、彼らとお友達になりたかったなと思うぐらい、親近感を覚えました。きっとそう思ったその瞬間、私は戦中の彼らと「会話」が出来たのだと思います。戦火の中でも私たちの祖先の心は健康だった、そう心で感じました。

平和な時代の子供たちにとっては、おそらく、物資の無い時代のお話は、体験していないのでぴんとこないと思います。こうした可笑しいお話の方が子供たちの心には響きやすいかも知れません。「あぁ、昔の人はここまで一生懸命に資源を得るために工夫したのだな」と物資が本当に足りていなかったということを感覚で理解できる気がします。そして、畑田先生の文中のエピソードは、題材の身近さ故に、子供の発想力養成の助けになるのではないかと思いました。

武者小路千家の家元の「昭和18年に、近衛文麿さんが高松宮様らを招いて極秘に日本降伏の相談をされたお茶会」のお話は非常に衝撃的で、とても印象的に記憶に残っています。

私も実は、畑田家で催されたお茶会に参加させていただき、家元のお話を聞かせて頂いておりました。家元のお話は、「茶の湯とは」という茶道の由来や千利休のお話から始まりましたが、家の中が夕暮れと共に薄暗くなっていく中、戦中のお話へと移っていきました。

長い歴史を生きてきたこの畑田家は、お昼は寺子屋のように賑やかだったけれども、夜はこうした密談が開かれていたのではないかしら、そう思いながらお話を聞いていると、古い歴史の時代と今との時間的距離がぎゅっと縮まったような感覚が沸き起こりました。まさに、歴史が私たちの現実とつながっているということを実感した瞬間でした。

そして、子供たちが刈った草を粉にして戦闘機のパイロットのチューインガムの原料にしたというお話、田んぼに生えている草が、ガムの成分の代用品になるなんて、私も今回初めて知りました。感性の豊かな子供たちはきっと私以上にもっと驚くのではないでしょうか。その話を聞いた子供は「ウェー」と顔をしかめるかもしれませんが、とてもインパクトのあるエピソードです。そのインパクトはしっかりと記憶に残り、好奇心につながります。苦しい中でも色々な発明品を作り出す発想力、発想力には想像力が必要です。物事を敏感に感じ取る心、感性にも想像力が必要だと思います。

畑田先生は以前、「歴史を知るということは過去、未来と対話することだ」と私に話してくださいました。過去、未来と対話する、というのは年代の違う人々と交流を持ち、話を聞く、そしてその聞いた話を、また次の世代につないでいくと言い換えることができるのではないかと思います。「今、戦中・戦後のことを思う」のお話には、健康な子供の心を育てるためのヒントが沢山つまっています。是非、出来るだけ多くの子供たちに話して聞かせてほしいと思っています。


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