小学校への出前授業の楽しみ――頭は帽子をかぶるためではなく考えるためにある
(2005.9.19)

大阪大学名誉教授・畑田家当主  畑田耕一

民間会社の研究所から大学教師に変わって40年になる。高等学校では、教師が大事なところを要領よくまとめて黒板に書き、生徒はこれをノートに写して覚えるといったタイプの授業が普通のようである。それで、筆者の大学の授業では学生に質問したり意見を言わせたりして、出来るだけ学生の発言の機会を増やして自分で考えさせることに努めてきた。ところが、最近こういう授業がだんだんやりづらくなってきた。考える習慣の全くない学生が増えてきたからである。黙って座っているだけで単位がもらえるのなら、質問に答えたり、意見を言ったら損だという学生まで出る始末である。筆者の専門は高分子化学であるが、科学英語も教えている。その時間にGPAが4に近い学生から「私は長い間、英語の授業というのは先生が英文の意味を黒板に書いてくれて、それをノートに写して覚えるものだと理解していた。先生のように、自分で辞書を引いて調べ、自分で考えることを要求されるような授業は初めてだ。」と言われて愕然とした。

不思議なことに小学校の出前授業では、筆者が理想とする授業の出来ることが多い。先日もある小学校で「プラスチックと人間の暮らし」という話をしたとき、ペットボトルをはじめとするいろいろな高分子製の生活用品、自動車部品、人工心臓・腎臓などの人工臓器、カメラやコンタクトレンズと言ったさまざまな高分子製品をみせて、その性質や作り方を説明した後で、「高分子製品に共通する性質は?」と聞いてみた。すると、「軽い、強い、温度を上げたらやわらかくなる」という答えが返ってきた。小学生はいくつかのデータを正確に記憶し、それについて考え、共通の特徴を引き出すという一般化の能力を持っているのだ。

「頭は帽子をかぶるためではなくて、考えるためにあるのだ」という話をしたところ、一人の女生徒が「私は、いつも明日は何が起こるかなとわくわくしながら考えている」と言って、「いろいろなことを想像するのは新しいものを作る創造に通じるのだよ」と筆者が言うきっかけを作ってくれた。「風邪を引いて昼間寝ているようなときに、じっと天井を見ていて、その木目をあれは鬼とか、これはライオンとか考えるのは面白いだろう」といったら「それそれ!」と先の生徒が応じてくれた。

小学校の出前授業では、「輪ゴムが古くなると、引き伸ばしたときに、きっちりと元に戻らなくなり、そのうちに手に粘りつくようになり、最後はボロボロになってしまう。これは何故か?」とか「ボールの弾むのとゴムの伸びるのはどうちがう?」といった物事の本質にかかわる、よく観察し、よく考えた質問が出る。小学生は、鋭い観察力、豊かな感性、いろいろな観察の結果を「不思議だな」、「何故だろう?」と思うことを通して物事の本質に迫ろうとする力や一般化の能力を養っている。これが中学校、高等学校と進むにつれて失われていくような気がしてならない。もしそうだとしたら、その原因が学校での学習と受験勉強を混同する社会の風潮にあることはほぼ間違いない。この問題の解決に、出前授業を通して少しでもお役に立つことが出来ればと思っている。

授業が終わって帰ろうとしたら、一人の男の子がそっと寄ってきて小声で聞いた、「先生、今日髭そった?」と。「あ!朝忙しくて忘れてた」と言うと、「いくら忙しくても髭は剃った方がいいよ」と言って帰っていった。小学校での授業の終わりを嬉しい気分にしてくれた一言であった。

本稿は、国際ロータリー第2660地区職業奉仕委員会編「職業奉仕のお話」(2005〜)に掲載したものを、許可を得て一部改稿したものである。


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