第7回畑田塾白川英樹先生の「セレンディピティーを知っていますか」に参加して(2005.11.12)

兵庫県立淡路高等学校教諭   渋谷 亘

さわやかな秋空のもと、畑田家住宅で行われた第7回畑田塾(2005.10.30)に参加した。今回の講師は白川英樹先生。百年をこえる歴史を刻んできた家で最先端科学のお話を聞かせていただくというなんとも贅沢なひと時であった。このような環境で小・中学生、高校生とその保護者や一般の人たちが、一流の専門家と同じ時を過ごせるのが畑田塾の醍醐味であり価値なのであろう。

普段は演台を使ってのご講演や発表が多い白川先生。畳の部屋での講演は多少勝手が違うとお感じになったかもしれないが、先生の息遣いが聞こえてきそうな近さでメッセージを聞かせていただき、廊下や次の間にあふれかえった子供たちの熱気は最高潮であった。

ノーベル賞に輝かれた白川先生の科学的素養は、鉱石ラジオづくりや昆虫採集などご自身の子供のころの体験によって形成されていることがお話からうかがえた。原体験の重要性が示された形である。学校の先生から「モウセンゴケ」の図鑑を見せられて、ご自身の昆虫採集の経験と知識を総動員してモウセンゴケを探されたお話や、採集した蝶の鱗紛転写をご自身でなさったこと、また、顕微鏡写真を自身で撮影し現像されたことなど、昆虫採集という趣味から派生したさまざまな体験をうかがった。その一つ一つが白川先生を形成していくうえで重要な素養となっていることがお話からわかった。これこそが「自然科学の学び」なのであろう。学校で行われている教科書を使った理科の授業が不要とはもちろん言わないが、自然科学の学びに原体験がいかに重要かを示唆するエピソードではなかろうか。また、趣味の継続と深化が学習意欲につながり、ひいては学力の向上につながることは間違いなさそうである。

昆虫採集が高じて鱗粉転写や顕微鏡、写真などを独自で学ばれたという一連の流れは、まさに現在の「総合的な学習の時間」が理想とし、目指すところであろう。現在の子供を取りまく住環境や社会的環境は以前とは様変わりした。科学技術の著しい進歩はそのブラックボックス化につながり、素人が製品を分解しても仕組みは複雑でわかりにくい。昔のように原体験を得にくくなっているのは確かであろう。総合的な学習の時間の有効な活用でそれを補うことができるのではないかと、白川先生のお話を聞きながら感じた。

白川先生の科学に対するお話はまた、高校教師である私にも重要なアドバイスとなった。科学を子供たちに伝えるためには、教師自身が科学を好きでなければならないという当たり前のアドバイスである。少子化や公務員削減などに伴う教職員定数の減少の一方で多様な教育を図る政策が進められた結果、教職員は自分の専門とする教科以外の授業を担当しなければならないケースが増えた(いわゆる臨時免許状による授業や学校設定科目などに伴う免許外科目)。そういった教科科目の授業では、自分では努力しているつもりだが、どうしても自分の専門教科のようにはうまくいかないことがある。授業を受ける生徒にとっては先生の存在がその教科の好き嫌いに結びつくことは往々にしてある。それを十分に自覚して、楽しい授業を心がけているつもりではあるが、専門外の教科の場合、なかなか難しい。白川先生の、「先生が好きでないと子供には伝わらない」の言葉を聞いて、特に心してかからないといけないと改めて感じた。どの教科にもそれぞれ面白い点はある。教師は敏感にそれを見つけ、生徒に伝えなければならない。そのために教師は相当の研究と修養を積まなければならない。一方で、行政は教育の現状の変化に合わせて教職員の数を調整すべきであろう。単純に子供の数が減ったから教職員も減らすという議論では、子供に学ぶ意欲を持たせることは難しいと考える。

「セレンディピティーは努力した人にだけ訪れるのだよ。」と温和な笑顔で語られる白川先生。その言葉からはノーベル賞に裏打ちされたたゆまざる努力と工夫があることが伝わる。小柴先生のニュートリノ観測も、たまたま装置を設置した直後に観測されたと報じられたが、万全の準備をしていたからこそ、奇跡的なチャンスをものにされたのである。白川先生の導電性高分子の発見も、たゆまざる実験の繰り返しがなければ、たまたま触媒を通常の1000倍も入れるということはなかっただろうし、また、常に意識をしていなければその際見られた異状も単なるミスとして処理されていただろう。セレンディピティーという言葉がマスコミにもてはやされ、偶然の発見がノーベル賞につながったかのように報じられたが、そこに隠された努力が研究成果の源であることは間違いない。

講演を拝聴して、白川先生のような大きな仕事はできなくとも、常にセレンディピティーを意識して、生涯にわたってたゆまぬ努力を続けたいと思った。そして、教師として担当した教科の面白さを子供たちに伝えていきたいと、改めて強く認識した。歴史をかさねた文化財での最先端の話を聞き終えて外に出ると、透き通る秋空にたわわに実る照柿色が心にまぶしかった。


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